GWは北海道へツーリングへ 6

給油後に、そのままオホーツクラインを南下。

猿払電話中継所跡地に向かいます。



ここに電話交換室があり、戦前に敷設した電話線が海底ケーブルとして樺太から東京までつながっていたそうです。(いまでも樺太までケーブルは敷設されたまま)




終戦になって、ケーブルは侵攻したソ連軍に切断され、通信はできなくなったそうですが、ケーブルは今もまだそのまま残っています。
電話交換所では女性交換手の悲劇があったそうで、ここでも悲しい悲劇を知りました。

ここを出て当初の予定ではオホーツクラインを南下して紋別や網走まで行こうかとも考えましたが、海から吹き上げる横風があまりにもひどいため、南下を断念。

行き先を旭川方面へ変更することにしました。


F104が中頓別の寿公園ということろにあったのでちょっと休憩。
コックピットも見学できるようになっておりました。青空展示している機体にしてはなかなかきれいな状態です。

休憩途中にマップルを見ながら、今日の寝床をどこにするかを考えなければいけません。

翌日の天気がよくない感じだったので、ライダーズハウスでの宿泊を考え、マップルで見つけた名寄からすこし入った場所の下川町にある列車を使ったライダーズハウスへ向かいます。


利用している人は誰もいなく、独占決定でバスターミナルへ列車を開けてもらいに向かいますが、バスターミナルには誰もいません。
休日は管理している旅館に連絡をと記載してましたが、電話もつながらず・・・
シーズンオフっていうこともあると思いますが、結局ここに宿泊できませんでした。

この時点で時間が午後4時過ぎ。ここに必ず宿泊できると思ったので、次の候補も考えてなく、ちょっと焦ります。

マップルで見ると、名寄に大きな公園があってそこにも宿泊ができるようだったので、来た道を戻り、行ってみます。
北海道立トムテ文化の森の中にキャンプ場があるので、さっそく管理棟へキャンプの申し込みを行い、テントを設営。
テントを設営する際に、ポールの差し込みが甘く、ポールをポキッと折ってしまい、手持ちのガムテープで何とか補修。



自立式テントはポールが壊れてしまうと、自立しなくてテントが設営できません。
気持ちが焦ると、確認がおろそかになり、こんな結果になってしまいますねぇ。
こんな時こそ、確認をしっかりして望まないとガムテがないと、この日はテント無しで野営しないといけなかったかもしれません。

バタバタと設営と着替えを終わらせて、近くのホテル内の温泉に入り、夕食を食べます。


これだけでは足りず、ラーメンも。



ホテルを出たころはすでに真っ暗。
キャンプ場までの道のりが寒い!!

つづく・・・